ポルトガル・エヴォラその1【世界遺産の穴場を行く】

エヴォラはユネスコの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録された歴史のある街である。この街には2泊した。リスボンのホテルを朝出発し、先ずはシントラへ向かった。途中、列車の故障がありかなり遅れてしまった。その日の夕刻までにはリスボンへ戻り、エヴォラ往きの最終バスに間に合わせねばならない。シントラへ行くのは諦めようかと思ったのだが、代替バスが運行されるという事で、強行することにした。シントラもまた、その美しい文化的景観がユネスコの世界遺産に登録されているのである。シントラについては、稿を改めて記すつもり。今回はエヴォラ。

リスボンへ戻り、アルコ・ド・セゴ・バスターミナルから2時間足らずでエヴォラのバスターミナルに到着。タクシーで宿泊地へ。2夜ともポザーダ・ドス・ロイオス(★★★★)。日本で予約をしておいた。ポサーダ・ドス・ロイオスのもともとは15世紀に建てられたロイオス修道院である。マヌエル様式の建物は中庭をめぐる回廊となっておりなかなか風情のある建物である。今回のポルトガル旅行の目的のひとつにはポザーダ巡りが入っている。かつてのスペイン旅行で数箇所のパラドールに宿泊し、その情緒と快適さに感心したものである。ポルトガル旅行の際にはポザーダと、そのとき以来決めていたのである。

エヴォラはポルトガル南東部、スペインと国境を接するアレンテージョ地方の中心地である。ローマ時代から栄え、ルネッサンス期には学問の府としてすでに大学もあった。1584年9月には、日本からの天正遣欧少年使節がリスボン滞在の後、7日間滞在した街でもある。彼等が滞在したイエズス会、エスピリト・サント学院は高校として現在なお使われているのである。
エヴォラはローマ時代、中世を経てそれから現代へと、それぞれの時代を生きてきた歴史的建造物がいたるところにある、そしてそれらを囲む城壁が街を覆っている。さながら街ぜんたいが歴史博物館なのだ。

エヴォラの街の中心はジラルド広場Praca doGiraldoである。エヴォラの街歩きにはこの広場を出発点とするとよい。この広場はいつ行っても、おやじ達があちこちに屯している。立ち話や、テーブルでカードに興じているだけなのだが。ポルトガルでは女達よりおやじ達の立ち話を頻繁に見かけるようだ。
広場から東へ向かって「10月5日通り」が伸びる。界隈にはカフェや土産品店、ホテルなどが並んでいる。「10月5日通り」の坂を上りきると、高台は歴史地区である。カテドラルとエヴォラ美術館が並んである。その北側にディアナ神殿がそしてロイオス修道院とロイオス教会へと続いている。そのさきにはカダヴァル公爵邸、東へ進むとエヴォラ大学がある。これらの建造物はすべてユネスコの世界遺産「エヴォラ歴史地区」32の物件リストに含まれているのである。

再びジラルド広場に戻り、北に進む道はRua Joao de Deus。この道を進み城壁を抜けると突然水道橋があらわれる。城壁の手前にはカルヴァリオ修道院がある。

ジラルド広場から南に向かう道はRua da Republica。500体もの人骨を有した人骨堂があるサン・フランシスコ教会はこの通り沿いにあり、その西側には市場がある。

さて三度のジラルド広場を抜けてディナーの予約をしてある、レストラン「フィアーリョ」Fialhoへと向かう。入り口のバルを抜けて案内されたのは地下の席。案内書によるとエヴォラでは指折りの名店だとある。ポルトガル料理についてはまた改めて触れてみたいのだが、ここの料理はオーソドックスなポルトガル料理であるように感じた。盛り付けも食材も意表をつくといったものではない。味付けはすばらしい。素材を大切にした味付けは日本人好みかもしれない。

エヴォラの夜も更けてきた。ジラルド広場を抜けるのも4度目である。異国の狭い路地を ほろ酔い気分で愉しみながら斗折蛇行。ポサーダ・ドス・ロイオスへと向かっているつもりだが、間違えてしまったかな。。と、突然ライトアップされたディアナ神殿が眼前に。2世紀末にローマ人によって造られたこの神殿は、月の女神ディアナに捧げられたものだという。それに相応しい幻想的なライトアップである。その後ろには我等が宿ポサーダ・ドス・ロイオスが待っていた。

エヴォラ・つづく(文・植武)

Comments are closed.